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諦めない考え方と行動を身に付けるには?

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「自分って飽き性なんだよね」と平気で口にして途中で諦めてしまう人がいる。あくまで個人的な意見なのだが、一度自分がやると決めたことを簡単に途中で諦めることは恥ずかしいことだと思っている。

少し本音を言わせてもらえば、恥ずかしいとか世間体などはどうでもよく、純粋に勿体ない。今日は諦めることがどうして勿体ないと思っているのかを書いてみようと思う。

これから書く意見はあくまで個人の意見なので、ここを読んだ方全員に理解してもらおうとは思っていないのであしからず。

最後までやりきれば大なり小なり自分に自信がつく。

最後までやりきった人にしか見えないものが沢山ある。自分自身との戦いに打ち勝った新しい自分との出会い、達成感、心の充実感、そして何よりも大きいのが自信を得られること。

諦めるということはそれらを捨てる事を意味する。

長い人生の中で困難はいくつも起きてくるが、やり遂げたことで得られる「自信」は困難を乗り越える力となり、「自信」を積み重ねれば積み重ねるほど、より大きな次の困難を乗り越えられるようになる。

途中で諦めることを繰り返している人は、次の違う困難にぶつかった時もそれまでと同じようにいとも簡単に諦めてしまう可能性が高くなる。要は諦め癖、逃げ癖がついてしまうというわけなのである。この癖というのは言い換えると思考。

最後までやりきることは人の心を強くしてくれる。

「最後までやらなくても結果が分かる」と言って途中でやめてしまう人がいるが、人の結果を見て知ることと自ら結果を出して体感して知るのとでは、同じ結果を知っていても実は中身が全然違う。

自ら結果を出した人は、結果を出るまでに起きた小さな困難を自らの力で乗り越えてきているのだから、解決するための引き出しの数が人の結果を見ただけの人とは比べ物にならないほど増える。

困難を自分の力で乗り越えれば更なる困難に立ち向かう心が強くなる。

どうして途中で諦めてしまうのか?

嫌になって途中で諦める。子供時代はそれでも許されるのかも知れないが、大人になると仕事であれプライベートであれ、簡単に困難(嫌なこと)から平気で逃げ出すような人は社会では相手にされないことは多い。

誰かに大切なこと頼もうとした時、すぐに投げ出してしまうような人に頼む人はまずいない。

「途中で投げ出してはいけない」なんて一度も言われたことがないという人がいるかもしれない。皆、声に出して言わないだけなのだと思う。厳しい言い方かもしれないが、まわりに「あなたのことを本当に大切に思っている人」がいなかったのかも知れない。

最後の最後まで、自分の事を本気で叱ってくれる人は親しかいない。この考えには反論があるかも知れないが、私はそう思っている。親になればわかるが、どれだけ子供が自分の言うことを聞かずに親に迷惑を掛けたしても子供を心底嫌うことはない。

親も子と共に一人前の親へと成長していくのだから、一時的な思慮感情でついつい子供にきつく当たってしまうことはあるだろう。それでも親子の絆がある限り、親も子も成長して繋がりは死ぬまで続いていく。

話が逸れてしまったが、物事にすぐ飽きてしまう人は先のことを考えずに思い付きで行動しているのではないかと思う。「今が楽しければいい」と近い未来しか考えていないのかもしれない。

目標を持たずに何かにチャレンジすることは、ゴールの無いマラソンを走るのと同じで苦しいものだ。走ること自体を楽しいと感じていれば、目標がなくてもとりあえず走り出すことは出来るかもしれない。

しかし、楽しいからという理由だけでとりあえず走りだしたとすれば、目標なくただ走っているだけだと必ずいつか飽きる時が来てしまう。走ることが面白くなくなった途端に走ることをやめてしまうかもしれない。

物事を継続出来ない理由とは?

どうしたら継続出来るか、その答えは実は簡単である。最後の目標を決めるだけなのだ。目標を決めてから走り出せば、困難を自力で乗り越えゴールまで無事たどり着くことが出来る。

特にビジネスにおいては楽しい事ばかりではなく辛い事やくじけそうになることも起きる。困難は「作業をやればやった人ほど」「結果を出せば出した人ほど」どんどん起きてくるのだ。

上手くいかない出来事は本気で目標を目指した人にしか起きないことに気付いてほしい。困難が起きた時は苦しいものだが、目指した人にしか起きないことを知ってさえいればどんな困難も困難とは思わなくなるはずだ。困難を乗り越えた先には新しい自分がいることを想像してみて欲しい。

目標があれば自ら行動を起こし困難にも自力で向かっていける。

目標がないから自ら進んで作業も出来ない。人に助けてもらわないと何もできないのである。作業が出来ないと悩む時間があるのなら、そこに時間を使うよりも、一度立ち止まって具体的な目標を決める時間に使ったほうが賢明かもしれない。

あなたがこの記事を読んで目標を決めることが面倒だと思うのであればそれはそれでも構わない。目標を持たないということは自由に生きるということでもある。

結局、決めるのは自分なのだから自分の生き方に納得していればそれでいいだろう。どちらが良いとか、悪いということではない。どちらも生き方の一つなのだから。

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ここの管理人は「のんくら」です。

Web業で食べてるフリーランスな人。著書「GoogleAdSenseマネタイズの教科書」重版9刷、累計は2.9万部突破!月間最高670万PV。アドセンサー。収益の4割がアドセンス。アフィリエイトの他、企業や個人のウェブプロデュース&コンサルティング、アプリデータ開発のエグゼクティブアドバイザーを務めるなど幅広くIT関係のお仕事中。サイト制作やマネタイズのセミナーやワークショップの開催、ASP主催のセミナー講師の実績あり。

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